地震・台風とか戦争は、個人の思惑では避けられない事件だろう。
じゃあ、いったい、その時、どう対処したらいいのか考えてみる。
みなさん、こんにちは、SHOJIです。
「熊本地震」。言うまでもなく大変です。
わたしは、名古屋で生活してますので、今回は無傷です。
連日、各メディアで現状が伝わる中、普段通りの日常を過ごしながら、「情報」として受け取っています。
いつも思うのですが、晩ごはんを食べながら猛暑にひとときの潤いとしてビールをグイ飲みして見てる自分・・・
ああ、熊本の人たち・・・と想像しながらも、やっぱり自分は楽な状態で、眺めているわけです。
これ、どうですか?
人間って、どうしてもその当事者にならないと、ほんとの実感はわかりません。
なんか薄情というか、自分の事しか考えてないというか、でもそうは言っても、それが現実です。
でも、これが自分に起こったらどうなる・・・当事者になった時、どうする・・・ってことです。
だから、可能性はみんなあるってことです。巨大地震で被災したり、台風・洪水・火事、そして戦争に巻き込まれて死んだり損傷も。
でも、そうなる人とならない人に分かれるのも事実です。これを「運命」と言えば、それまででしょうけど、いろいろなわけですよね。
ここで「仏法真理」の観点で考えるとどうなるか、簡単に言えばこうです。
まあ、しょうがない。みんなそれぞれの「人生経験」として、この世に生きてるんだから、その個別体験には、いろいろな違いが出る。
よって、地震で被災したり死んだからと言って、それが「不幸」だとも一概には言えない。
なぜなら、その経験によって何らかの魂の学びにはなっているから。
この世は仮の世界であり、あの世が実在の世界なんだから、
要は霊的な生命である魂としての個性が多様な経験を通じて磨かれているとすれば、
それは「貴重な体験」であると考えることも可能になる。
こんな突き放したような結論は、実際、打ちひしがれている当人には受け入れられないかもしれない。
だけど、この世の一般常識だけに依拠した、この世界に起こる様々な諸事情を、究極の「信仰」をもとに捉え直すと、
この厳しい「現実」の中に「真理」を悟る機会が、与えられているのだとも思う。
人間がこの世に生まれて来る意味が分かると、
広い視野で「現実」を捉える術が加わる。
例えば、地震で家が壊れ、家族が亡くなり、ひとり命は助かり、取り残されたとする。
さてこの現実をどう理解するか。だれだって、すんなり受け入れられるはずはないと思う。
でも現実は現実。ここで、その人の「世界観・価値観・信仰観」が強く影響することになる。
誰もがその当事者になった時、その現実は避けられない。
なので、それをどう捉えるかによって、その人のそこから先の人生は、考え方によって大きく変わる。
考え方は生き方になる。そうした心の様相が幸不幸を生み出してゆく。
そして、自分が選び取った積み重ねが結果となって現れる。
この世に生まれた意味って何かといえば、肉体を通していろいろな体験を積み重ねることによって魂にとっての学びを得ること。
となると、何事もなく平穏で一生何の苦労も悩みもなく過ごす事が幸福なんだろうか。
ああ、よかった、無事でなにより。まあ、それもあるだろう。しかし、普通は何らかある。
みんな、それぞれにいろんな人生問題にぶつかり、時には事故や災害に見舞われる事もある。
その当初は誰もが大変な目に会ったと思うし、嫌だとも思うし、受け入れがたい気持ちにもなる。
だけど、それがその人の人間としての経験として、魂の実力を向上させるきっかけになったのなら、
そこに意味が出て来るのではないか。
この世の現象を、この世の視点だけで考えると、その結果の良し悪しは限定される。
「仏法真理」の視点に効果があるのは、世界観の規模が大きい、広いという事だと思う。
この世で起こるさまざまな不幸と思われる現実が、あの世とこの世を貫く視点で読み解くことによって、
すべての幸不幸を伴う現象も積極的なプラスの意味を見出すことが可能になるという事実。
これは、「福音」ではないか。人間の心を救う力になるとぼくは思う。
あらかじめ、この世界の成り立ちと意味を知っていることは、
だれもが遭遇する個別の苦境に対する心の準備と覚悟、そして安心感に繋がると思う。
ひとつのいい意味での「あきらめ」が心の平安を齎す。それが「信仰」というものの効果だと実感している。
要は、「何があろうが受け入れる」という覚悟。
人の苦しみは、自分にとって嫌なこと、都合の悪いこと、マイナスだと感じることが起こった時、それを拒もうと格闘することから始まる。
この現実から逃れたい、覆したい、無視したい。と思うけど、現実は頑なで動かない。
七転八倒して、ようやくどうにもならないと感じて、
そこからリセットする気持ちが芽生える。この過程が長ければ長いほど、苦悩も深くなる。
だから、始めから、「覚悟」ができてれば、苦しみの質量は違ってくるのではないか。
なんで、「仏法真理」を知り学ぶことが、重要だって思うんだよね。
自分がそうなったら、どうするか?
ぼくはこう考えて、こうするつもり。
でも実際、その場になれば、心揺らぐ事もあるかもしれない。
しかし、この心構えで、生きていこうと決意している。
さて、みなさん、ここら辺でリラックスタイムです。
世の中、いろいろあります。ストレスも悲劇も被災もあります。
なんでこうした事が、みんなにそれぞれいろいろあるんでしょうか?
そうそう、楽しいことも嬉しいことももちろんありますよね。
個々の人間の一生の間に、さまざまな事が起こるわけです。
これがもし、一律で何の変哲もない日常が続くだけだったらどうなりますか?
ただただ、安全で安心で全ての人が、決まり切った人生をかっきり80年生きると確定していたら、それはどうでしょう。
「ああ、よかった、幸せに過ごせてよかった、では、さようなら」で、果たして幸福な人生なんでしょうか?
これがいいと思う人も中にはいるかもしれませんが・・・まあ、けっこういたりしてw。
ということなんですよ、「この世」に生まれるってことは、「意味」がないと意味がないんです。
その意味とは、個別に出会うさまざまな「事件」だとも言えるわけです。
だから、地震・雷・火事・おやじ・・・こういうのが出て来るってことです。
それらが、必要な要素として、各人に貴重な体験として現れ、経験として「魂の糧」になっていると、ぼくは考えます。
そうなんで、そうなった時は、あきらめて感謝して受け入れると、あとあと満更でもない善き贈り物だったと思える日も来るでしょう。
これが「神仏」に対する信仰だと思います。
自らが切り離された個別の存在ではなく、根源の神仏と繋がっているなら、何があってもいいじゃないですか。
永遠の生命と一体なら何も思い煩うことなんかないじゃないですか。ぼくは、こう考えて生きてます。
これが「仏法真理」の力です。だから、土台が決め手になるんですよ。
自分とは何か、世界とは何か、宇宙とは何か、存在とは何か、無とは何か、そこを突きつめるのが、すべての問題を解く鍵だと思います。
「備えあれば患いなし」心の備えと覚悟、その大元に「信仰」があります。
と、言って、目の前に現れた現状をただただ我慢しろという意味ではありません。
この世の中には、不正や不当な構造によって、被害を受けている事も多々あります。
天災といえど、人災といえど、葬らなくてもいい無駄な不幸もあるのも事実です。
それに対しては、人間社会のルール、法律・政治を通じて改善すべき要素だと思います。
例えば、避難所の整備なんかも今回、テレビ見て思いました。
熊本は2度目の大地震にも関わらず、なんで体育館でなんの敷居もない板の間でシートの上に雑魚寝なんでしょうか。
こんな避難所で何日も居たら、だれだってストレスと疲れが溜まるのは当然ですよ。
これは、改善しようと思えばできるはずです。
やれてないということは、国も自治体も仕事してないのは明白です。
人間の根本の「心構え」として、何があろうと、すべては魂の糧として受け取れば、その体験・経験は、「感謝」できるという話です。
この世の人生は、肉体に宿った魂が霊的な向上を目指し、その霊性を磨くための砥石として用意されている。
あくまでも主体は霊体で肉体は、その乗り船。そう認識すればこその「世界観」です。
だから、「神仏」が創った仕組みに対して、文句は言わない。
この個人生命体として、生んでもらった親には、感謝しかない。
この「悟り」が前提にあるから、すべてを受け入れることに納得するわけです。
ということで、みなさん、これが「エル・カンターレ信仰者」のわたしの結論です。
これをどう感じ、どう思うかは、自由です。
何か、少しでも参考になれば幸いです。またね、バイバイ! (つづく)
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