「常識」ってなんだろう?
情報・知識・智慧によって認識は変わる。
要は、何を選択し、信じるかで、世界観は決まる。
この世界をどう捉えるか?、は、物事を考える上での基盤だと思う。
ぼくが今、認識している世界は、こうだ。
まず、この世界が創られたものだということ。
それは、宇宙の発祥からになるわけで、始原の状態がなんだったのかから始る。
ここで、無と有の概念が現れる。そもそも無とは何か、それは知らない。
しかし、こうして今、有であるこの世界と自分が在るのだから、
無から有が生まれたと考える。
その生まれさせた根源の発祥者を「神仏」と信じる。これが、ぼくが考える世界観の元だ。
さて、こういう認識がどのような知識を基に形成されたか。
そこに「幸福の科学」大川隆法氏が説く「仏法真理」がある。
この教えを知り、学び、実感しながら、今日まで来た。
みなさん、ざっとぼくの得た認識でこの世界を紹介してみます。
要はこの世界は、無から有を生んだ神仏の念いからできました。
宇宙ができました。いろいろな銀河できました。
それぞれ太陽とかできました。数々の星できました。そして地球できました。
いろいろの中から生き物できました。だんだん人間もできました。
こんな感じで、創造主の念いから、いろいろ生まれました。
今回、その創造主の人格的存在として名を明かされたのが「エル・カンターレ」でした。
そのエネルギー体が魂として分かれて、現代の日本に「大川隆法」として生まれました。
そして、その教え「仏法真理」を地球人に伝えました。
現在、世間で「常識」として通っているのは、学問的・科学的な分析・考察ですよね。
宇宙の始まりも生命の成り立ちも、地球の歴史も、過去とか未知な事は、
人間の現時点での推測を交えた探求によって最良と認めれた分析結果です。
だから、その分析結果としての知識は、人間が、「後付け」で考察して理解できたもので限定的な訳です。
しかし、「真理」は、既に確定された事柄なはずなんですよ。
だって、この現象は、もう終わってる事なんですから。
この世界が今、実現しているのは、始原から現在に至るまで、確実に実行された歴史的事実があるだけです。
ということは、人間が「後付け」で探求する以前に「真理」は揺ぎ無く存在してるわけですね。
ここで、視点の違うアプローチとして、人類史上で現れたのが、「宗教」なんだと思います。
真理そのものの創造主である「神仏」の言葉を預かった人間が、この世に生まれて「法」を説くということです。
だから、宗教的視点は、「先付け」なんです。人間が真理を後付けで探求するのとは、逆なんです。
となると、そこに突きつけられるのは、その「預言者」を信じるかどうかの問題となります。
これが宗教における「信仰」です。
でも、人間は、学問・科学的探究によっても、その手法を信じるか否かで判断してるので、
やっぱり究極は何を選択するかという「信仰」に帰着する気がします。
要は、人間中心の限定的世界観を基盤とする思想を信じるのか、
神仏から成る超越的世界観を至上とする思想を信じるのか、
ここに、人間がこの世界を生きる上で、決定的なポジションの違いが出て来るのだと思います。(つづく)
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