「情報過多」の現代。この溢れかえる「お知らせ」をどう整理するか。
みなさん、こんにちは、SHOJIです。
今回は、日常生活で結局、どんな情報が必要で何が要らないのかを
今までの経験でわかった事を述べてみたいと思います。
今の時代って、だれでもそうだと思うけど、毎日毎日、スマフォの画面見てますよね。そいで頼んでもいないのにいろんな「お知らせ」が届きます。自分で検索して情報を取る以上にその周辺の情報も付加されてきたりするんで、何となくそれも見る。そうしてるとどんどん、嵩んできます。そんなこんなで毎日、受ける情報は膨らむ一方です。
そこで、その情報の内容・中身を点検してみるわけです。これはスマフォに限らず、テレビ・雑誌、その他メディアも一緒ですね。ただ、受け身で流れてくるものを取り込むだけなら、自分の頭はただの情報集積所です。なので、「情報の選択」は、現代の生活者にとって最大重要課題となっています。なぜなら、毎日の行動はその選択した情報に左右されているから。その人の考え方や判断も日々の情報の集積から決定していると言っていい。天気予報、買い物、食べ物、交通手段、それらに纏わる最新情報を取得して、自分にとってベストを刻々選んでいる。その判断が当たったり間違ったりして、実際の行動が結果で現れる。何を取って何を捨てるか。皆、意識するしないに関わらずそうやって生活しているわけです。
さあ、ここでいったいあなたにとっていちばん必要な「情報」ってなんなんでしょう? ぼくは、それが、よくよく考えると、「心」の持ち方なんじゃないかと。表面的な情報よりも、気持ちのコントロールをするための知恵・知識がまず必要だと思うんです。それが土台にあってこそ、毎日の些細な日常行動にも良い影響を及ぼすはずです。
そこで、幾多の情報を整理し、それを振り分けるために土台となるのが、大川隆法氏の説く「仏法真理」だと、ぼくは確信しました。
いちばん大事な情報は、その人の「世界観」。
根本の「価値観」は、何によって確立するのか。
では、具体的に例を上げて考えてみましょう。
もしも地震・天変地異に見舞われた時の「心」の持ち方についてです。
突然の地震に会って家もつぶれ、家財は流され、家族が死に、ひとり自分が生き残ったとしましょう。
これ、想像してみると、実際どうしようもない悲惨な出来事です。きっと、放心状態になると思います。現実に最近、そんなニュースもテレビで何度か報道されています。
こういった絶望的な状況で、まずこの事実を受け入れる事自体ができないのが普通だと思います。頭、真っ白。心、まっ黒。そんな感じかもしれません。ぼくは、いつもこんなニュースを見ながら、自分は晩ごはんを食べながら、大変だなと思いながら、見ているわけです。なので、この当人の気持ちは実感としてつかめていません。わかっていません。被災の経験がある人ならそれに照らして同感する事もできるのでしょうが、でも、やっぱりこの状況のこの人ではない以上、「他人事」なのは否めません。ここで、わかるのはひとり一人の「人生」は、別の人では変われない。それぞれ固有の唯一の「人生」だという事です。その人の体験・経験は、他の人と同じにはならない。という厳然とした事実です。このことを納得した上で、この惨劇に対してどう対処するかが問われます。
そうすると、次は、この世界への認識、「世界観」の内容が重要になってきます。まず「死」に対する認識です。「死んだら、何もかも終わり。すべては無くなる。」と考えるか。「肉体の死は終わりではない。霊は存在し、意識は継続する。死とは霊的実在がこの世からあの世の生活に移行する事。」と考えるか。この理解の違いで、この悲劇の捉え方は変わると思います。ぼくの選択は、だったら、「霊的世界観」をベースにして現実生活を過ごした方がよくないかな。そう感じる。なんか得な気もする。さて、どうですか、みなさんは?
こうして「仏法真理」を知り、学ぶ事によって、今まで生きてきて、いろいろな悩みや失敗にぶつかっても、何とか凌げてきました。まあ、これを知識として自分の中で納得してれば、強い「武器」になることは言える。それぐらい貴重なもんだと思う。人類の宝。希望の星。この教えをわざわざ、何千年に一度のタイミングで、「救世主」は地上に降りてきた。これ、人間にとって、吉報。奇跡。福音。ラッキーだと受け止めるのが素直な態度だと思うんだよね、だって、今の世界状況、どう見ても「世も末」感で充満してる。現実に戦火が広がっている戦争・天変地異・凶悪事件・政治家、官僚の汚職・一般人の堕落。これを立て直すには、根本的な「価値観」を人間の共通認識に普及しないとダメだと思う。それが、結論。
真の情報を得る。
それぞれの人の知識・認識による「心の持ち方」で、
その人の行動・生き方は変わる。
このように人間ひとり一人の心にある、土台の知識・認識の違いによって、同じ物事でも、その捉え方が変わるわけです。地震で死んでも「あの世」があるから、別にそれほど悲観することはない。また、そちらの世界で新たな生活が始まる。それはそれでめでたい。だったら、今、この世で精いっぱい生きてこの世界に貢献しよう。天変地異もそこには天の意志、神仏の意向が織り込まれている。ならば、人間である自分たちは、その結果を謙虚に受けとめよう。この時代的現象は、今までのわれわれ人間側の心が影響している。この原因をつくったのは、ここ数百年の人間の思いと行動が神仏の心に沿わなかった。そこに間違いがあったのだろう。そう思って諦めれば、天変地異も素直に納得できる。
どうですか、みなさん。まあ、すんなりは了解できないかもw。だけど、この霊的視点、神仏の思いを想像してみる。人間中心・自分中心の考えを一旦止めてみて、宇宙規模の無限的マクロ観に焦点を当てて現実を見返す事によって、そこに「救い」があるのではないでしょうか。と、ぼくは提言したいのです。
最後に、大川隆法氏の書籍から一部引用抜粋させていただきます。
ということで、みなさん、では、またね!(つづく)
「この世の中は、すべてを浄化して、きれいにすることはできない。
しかし、そのなかにおいても、泥のなかから蓮の花が咲くように、
あなたがたも一輪の花を咲かせなさい。
それが、あなたがたの環境のなかにおける悟りなのだ。
その環境自体を変えることはできない。
あなたがたが味わった、過去の不幸それ自体を、全部、帳消しにすることはできない。
しかし、不幸な環境に生まれたとしても、同じような環境のなかにある人が、
全員、不幸のどん底まで行かなければならないというわけではないであろう。
その環境のなかで、あなたがたは、心を磨き、自分の道を求めて、
一輪の花を咲かせることはできるのではないか。
それは、どの人にも可能なはずである」
大川隆法著 『信仰のすすめ』 第1章「泥中の花」より
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