コメント風なタッチで、
短く、言いたい事、気づいた事、考えた事を述べていきます。
こんにちは、SHOJIです。
だいぶ陽気が進んで、春から夏への気配が見えてきました。
ところで、きょうは何をテーマにしようか、今、考えてますw。
どんな伝統宗教も始まりは、みんな新興宗教です。
全ての宗教は、皆つながっている。なぜなら、その教えは、元をたどれば、「根源の神仏である宇宙エネルギー」が発祥なのだから。
根源とは、宇宙の始原に遡るということ。この世の歴史を超えてあるもの。
なので、現代の新興宗教として現れた教えであっても神仏からの言葉であるなら過去の宗教とも教えとして繋がっているわけです。
仏教もキリスト教もイスラム教も元をたどれば個々の伝統宗教も互いに繋がり、この世に出現した時点では皆、新興宗教だったと言えると思います。
幸福の科学の宗教としての特徴とは?
宗教の本道は、心のコントロールであるとし、正しき心の探求を日々実践する。基本は「仏法真理」という仏教の伝統的な教義がベースにある。なぜなら、2千5百年前の仏陀が現代に「大川隆法」として生まれたから。この仏陀再誕の事実を認めるか否かはそれぞれだが、それだけの自覚と責任を持って、今回、この日本に新宗教を起こした。
この教えは、歴史上の諸宗教を大きく俯瞰して、霊的視点の観点で歴史上に残った伝統宗教との関係性を説明した体系的宗教理論。
ぼくが感じたのは、宗教って、それぞれ自分が信じるものが最高で、他のものはダメ。自分が信じる神以外は排除する。そうなると、そこに対立が生まれ、争いが起こる。実際、今もそうなってる。中東・アラブとか。
これだと一向に治まらないよね。
幸福の科学の理屈では、いろんな宗教はある。民族の違いが宗教の違いなのもわかる。
でも、それらは大きな視点で見れば、互いにつながりはあるよ、排撃するのは間違いだよ。
だって、地球に生まれた人類を導くために宗教はあるんでしょ。けんかしたらいかんよ。って言ってるわけw。
それで、今回、「エル・カンターレ」が個々の枠を超えた、地球的規模での宗教を提示したんだよね。
民族間の意識改革を促し、宗教間の対立を解消するのが役割なんですよ。
みんな、わかったかな。ここが幸福の科学の特徴ってこと。ちゃんと意味と意図があって、この新興宗教はできたんだね。
伝統宗教は正しくて安心できて、新興宗教は間違いで怪しいから怖いっていう世間の風潮は、鵜吞みにはできないよ。
どっちも内容をよく吟味してみないと、一概にはわからない。宗教って、なかなかその内容まで知れないってこともあるけどね。
まあ、でも、正しい宗教は、人間の心を磨く基準になるものだから、必要だと思うな。
どうかな、みんな?今の時代、あまりにもアホみたいな輩が目立ってきたからね。毎日の事件・ニュースでも、ちょっと考えられないような凶悪な犯行とかあるもんね。あんなん普通の人間としての道徳があればしないと思うよ。
やっぱり心の教え基本的な宗教心はないといかんのじゃないの。
なぜ、今、この時代に
「エル・カンターレ」
なのか。
みなさん、なんでもいいから心を空にして聴いてください。
ぼくは、ただの一般人の60代半ばの男です。
それが20代半ばに「大川隆法」という人の著書と巡り合いました。
そして、それから現在まで3000冊を超える書籍と2000回を超える本人の講演・説法を直に聴いたり録画・録音で視聴してきました。
「幸福の科学」の会員となり信者となりました。
今も続いています。
「仏法真理」がなんで、
大事なのか?
仏教の教えは、この世で生きる際のリアリズム。
客観的に人間の心の状態を分析して、現実の生活に照らして、「因果応報」原因と結果の連鎖を見通す事によって、事前に処置する。
この世の道理を掴み、真理を悟れば、その結果の現象を冷静に受け入れる事ができるようになる。
これによって、この世の人生が、「経験」として幸不幸を超えた「魂の糧」だと納得できれば、
それぞれ固有の人生を貴重なものだと思えると思う。
「心の教え」は、
心を探求すること。
人間の生活は時代と共に変わるけど、心の在り方をコントロールするための教えは、時代を超えて有効性がある。
そこが宗教の強み。必需品である要因。人間は心の持ち方によって、幸不幸が分かれる。
今回、「エル・カンターレ大川隆法」の説いた教えの柱は、「四正道」だった。四つの正しい道、指針としての項目がある。
それが「愛・知・反省・発展」です。
やっぱり、今の世の中、何が原因でいろいろな問題が起こっているのかを考えてみると、「心の荒廃」だと思う。
その部分を治すことが、この世界をよくする手段の手始めだと考えてるわけです。ぼくはね。
毎日、いろんな事件もあるし、世界中で戦争や紛争、いざこざ、けんか、トラブル、
これらもみんな人間同士の心の軋轢によって、発生してるのは間違いないよね。
だったら、その根本にある個々の心の在り方、心境を分析してみる。探求していく。この方法は常道だと思うけどな。
「愛」って何?
まず「愛」。
だれもが求めてやまないもの、それが愛。
人が生まれて初めて受け取るのも、愛。
人間は、そこから成長していく過程で、何がいちばん欲しいかといえば、それも愛。
だれもが自分が愛されることが、幸福だと思っている。
「恋愛」で例をあげてみます。
みなさん、だいたい小学生3、4年になるぐらいで初恋をしますよね。
まあ、人それぞれでしょうけど、幼稚園の人もいれば、高校になってか大学で初めてとか・・・
それはいろいろですけど、あの恋みたいな感情を抱くのは、なんででしょうか?
ぼくは、あれが「愛」を実感する経験として、一番インパクトがあるからなんだと思います。
でも、その愛は与えるではなく欲しいという強い欲望となって、自分の心身に迫ってきますよね。
なんとかその愛を得たいという情熱で爆発しそうになるのが
恋愛の醍醐味だと言えるかもしれません。
文学・小説・詩・歌・映画・マンガ・等々、そのダイナミズムを描いて、人々は皆、胸ときめき感動してきました。
だから、愛とは奪うもの。獲得して嬉しいもの。成就して幸福なもの。という一般常識が浸透しています。
でも、これが違うと言ってるんです。これこそが苦しみの元なんだと。見返りを求めたら愛は死ぬと。
「幸福の科学」で説かれた愛の教義では、「愛とは、与えること。奪う、もらうことではなく、与える、あげること」
それが愛の本質である。
ぼくが、この教えを信じる根拠は、人間の本質が愛の方向性と一致するという道理です。
確かに、人は、愛を求めます。他者から愛されたいと思います。そのために努力します。何とか愛を獲得します。
しかし、まだ満足しません。もっともっと求めます。この方向での自分の欲求はきりがありません。
そこで、このベクトル(方向性)を逆にします。
自分が求めるのを止めて、相手に「与える」ことにします。
これは、行動としては、他者に親切にするとか、周りの人を喜ばすとか助けるとか、やってみます。
すると、なんだか心が軽くなってくる感じがします。
不思議だけど、確かにそうなるんです。
さて、ここでわかります。
人間の本質は、「愛を与える」と自分自身も心が穏やかになり、充実感に満たされるわけです。
ええーーうそっ、そんな簡単な話か・・・って、思う人もいるでしょうw。
でも、これが「仏法真理」の根幹なんですよね。
ぼくは、これを実感したから、「エル・カンターレ」を信仰したんだと思います。
「心」って何?
みんな個性を持ったひとりの人間なんだけど、その違いは何かと考えてみれば、
この心の種類というか、状態、心境、その現れ方に違いがあるってことだと思う。
まあ、確かにその人の見た目とかで、判別はつくのだけど、決定的な違いは、その内面、心をどう捉えたかで認識してると感じるんだよね。
「仏教」は特にそこを重視した世界観を説いていると思う。
こういう探求心って、生き物・動物の中では人間だけな気がする。犬や猫に訊いても答えないしw。
自分とか世界を客観視しようとするところに、人間の人間たる特徴がある。
その探求の流れの究極が「神仏」に繋がるのではないだろうか。
だから、その過程が哲学となり、「宗教」が生まれた。ぼくは、こう考える。
「悟り」って何?
この言葉は、現代人には、どう響くのかな?
みんな日常的には意識してないよ
「いやー、ちょっときのう悟ったんだよ、おれ」「ああ、そうなんだ、よかったね」
「わたしもまた今度、悟ろうかな」「そうだね、まあ、がんばってね」 …とか言わないもんねw。
しかし、けっこう「悟り」は、毎日の生活に密着してるかもしれません。
例えば、電車に乗って座席に座ったら、その車両の人全員スマフォを見てる。右と左、前列の視線はスマフォに注がれている。
その状況を眺めているのは、自分ひとり。ここで、ふと考える。みんな、思い思いの画面を見て、その世界に住んでるんだな。
なんとなく、でも決定的に。じゃあ、この人たちの心の中はどうなっているんだろう。まあ、これも千差万別いろいろなんだろう。
横の人のスマフォの画面は、チラッっと覗けば少しはわかる。しかし、その見てる人の心は、わからない。
ここで分かることは、他人の心は分からない。その心の中には立ち入れないということ。
でも、自分は自分の心が今、何考えてるかわかる。知っている。腹へった、とか。正前の姉ちゃん、きれいだな、とか。
リアルタイムで移り行く心境を、ダイレクトに感じながら、今を生きてる自分。
ということは、この自分の心だけは、自分で操作できるようになってるってことだよね。
良くも悪くも、やるもやらないも、自分で決定できる。
心をコントロールすることによって、「自由」の本質に気づく。
これって、「悟り」かもw。いや、そのきっかけではある気がする。
やっぱり「宗教」が、
人間が幸福に正しく生きるためには、
必須だと思える理由。
さて、ということで、まとめに入りたいと思います。
みなさん、宗教に対するイメージは、いろいろお持ちでしょう。
この日本では、新年に神社に参り、クリスマスにケーキを食べ、結婚式をチャペルで行い、葬式はお寺の坊さんを呼ぶ。
この矛盾が矛盾とならない「八百万の神」的風土は、ひとつの文化ではあるのでしょう。
近年、創価学会・オウム・統一教会、と世間を凶悪事件とともに騒がしてきた「カルト宗教」における負のインパクトが、
多くの国民に蔓延った事実は認めます。
しかし、本来、「宗教」は人間の心の元にあり、神仏を尊崇する気持ちは、人間から神仏への純粋な信仰心の賜物だと思います。
なので正しい宗教心まで捨て去るような本末転倒な唯物思想こそ排除すべきと考える次第です。
ここで、敢えて、ぼくが「幸福の科学・大川隆法氏の説いた教え・仏法真理」と「エル・カンターレ信仰」が正真正銘の宗教として推すのは、
「幸福の科学」が単なる一宗一派の利害を超えた、人類全体に対するメッセージであるからです。
そうでなければ、こんな真面目に、いや寧ろ、アホかと思われるような宣言はしません。
大川隆法氏が現代に説き来った「仏法真理」は、宇宙の根源からなる「神仏」の言葉を預かった「福音」であるからこそ、尊いのです。
この教えが、現在の闇が深くなった世界に必要不可欠で、世を救う効果があると思うから言っているんです。
一人でも多くのみなさんに伝えてそれぞれの人生に役立たせてもらいたいから書いているんです。
これは、一個人の所有物にしとくだけでは、もったいないから伝えているんです。
この「仏法真理」は、全世界・地球人に与えられた究極の価値となる「共通財」だと思います。
そして、現時代に強く要請されるのが、全ての伝統宗教をも統合できる体系を持った「世界宗教」の出現だからです。
現状の民族の生活・文化と宗教を容認しながらも、それを含めてまとめ上げられる「地球的宗教思想」は、これしかない。
ぼくは、そう信じます。
そうなんですよ。結論は、この信じるか否か、なんです。結局は、ここに懸かってきます。
だから、みなさんひとり一人が最終的に決めるしかないわけです。
ということで、じゃあね!
(つづく)
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