人間の幸福って何なんだろう。
みんなが自由に生きられるための、
政治と宗教の役割。

みんなが住みよい社会をつくるには、どうすればいいのか。

みなさん、こんちは。SHOJIです。
今回は、根本的な問い、「人間の幸福って何?」を考えながら話を進めてまいります。
これって、みんなそれぞれだと思うけど、たまには真面目に考えた事あるんじゃないかな。
まあ、おいしいもの食べられたら幸福。いい服着たら幸福。すごい邸宅に住めたら幸福。すてきな人と結婚できたらとか、要するに自分の欲求が叶う事が幸せなんだって思うのは、普通の感覚だよね。
でも、それを掘り下げていくと、けっこう哲学的な問題でもあるのかもしれない。それはなぜか? 確かに幸福になりたい気持ちはみんなある。だけど、それを実現するためには行動が要る。その方法も必要なわけで、ただ思ってるだけでは、そうならない。棚から牡丹餅とは、なかなかならないもんねw。
じゃあどうする。ということで、まず、原点に戻って、「幸福」とは何かを探っていこう。っていうのが今回のテーマなんです。

で…… 大川隆法さんは、こう考えた。人間の幸福には2種類あると。

人間の幸福には、いろいろある事はそうでしょうが、それは一旦、当然のものとして、「自分自身にとって真なる幸福とは何か。」を探求して出た答えがこれでした。
①活動的生活における幸福。と、②観照的生活における幸福。であると。

まず、①の活動的生活における幸福を実現するための方法が「政治」だと言っています。「政治に参加することによって自由を創設することが、人間としての尊い活動であって、人間はそのなかに幸福を感じるのだ」「自分の人生を使って、この世に一石を投じ、この時代に自分が生きた証となる記念碑を遺したいという気持ち」それが実現される過程において、人間は真なる幸福の一つを味わうことができると思うのです。
そして、②の観照的生活における幸福は、ある意味での「孤独の思想」です。「日本で言えば、禅寺で座禅をしているときに得られる心の安らぎの奥にある幸福でしょうし、キリスト教的に言えば、修道院のなかでの修道的生活、瞑想的生活に当るでしょう」こうした非常に深いところまで物事を考える生活から得られる幸福です。


そもそも、政治とは何か。
政治の意味と役割について思ったこと。

そもそも政治って何か。人間の生活が始まって、いろんな仕組みが必要になってきた。生活をスムーズにするためにルールを決めた。これは、毎日の中で、人と人の関わりの中で、何らかトラブル・軋轢・問題が生じたから、それを解決するためにみんなが話し合ってまあこうしたらどうだろうと試みたものだ。その中でいい感じで定着したものが、共同体の掟となった。そうした人間同士のやり取りが、政治なんだと思う。だから、現在ある法律も、そもそもの意図は同じなんだよね。

人間が生活する上で、それぞれが自由を求める。自己中心と自己中心がぶつかれば、軋轢が生まれる。それをうまく治めるためにルールが要る。法律ができる。政治的な解決法。しかし、その根本に必要なのが、思想・哲学・宗教を土台にした考察なのだと思う。「人間」というものに対する深い心情理解があってこそ、政治とか法律は、人々の幸福に寄与できるアイテムとして有用になる。

自分たちの毎日の生活は、衣食住とそれを支える仕事で成り立っています。そこに貨幣経済があり、人々の交流には一定のルールがあります。そして、各々の行動が支障なく秩序を保つために「法律」をつくりました。ですから、「法律」は人々を取り締まるのが目的ではなく、より良く生活するための自分たちが合意して決めた「ルール」なんです。だから、その法律が現状に合わなくなったら変えることもできるわけです。そうした社会参加が「政治」そのものだと思います。
政治は生活上必要な普通の事なんですよ。選挙に投票する事は、自分たちの生活基盤を整える事につながっています。参加しなかったら、ルールが他人任せになるだけです。自分が納得してない法律でも従わないといけなくなります。こんなん、嫌じゃないですか。現実に国民の半数以上が選挙に行かないということは、自分たちの生活を投げやりにしてるって事なんです。


政治の奥に「神聖」なるものはあるか。

古代より、政治が「政(まつりごと)」と言われる所以は、そこに神仏と相対する精神があったからだ。人間の社会を形作る元に、神聖なる心で判断することが前提としてあった。そうでないと、人間の欲と欲の折衝がそのまま反映されたものになってしまう。それが政治となれば、世の中は強い者の利権が優先されて当然となる。実際、現実社会はそうなっていることは知っている。民主主義といっても、その傾向は変わらない。だからこそ、ここに「徳」が必要なのだと思う。

共同体である人間社会を治めるための規範を何とするか。世の中に騒乱なく、豊かで喜びを生む社会を築くためには、根本に理想が必要です。その理想は「徳」から生まれてくると思うのです。徳ある人間は、人間を超えた存在の叡智を体現できる人物であるべきです。だから、政治に宗教が必要なのです。神聖な志を持ち、且つ、多くの人々を慈しみ、導いていける人が政治のリーダーとなるのが妥当だと思う次第です。

現在の世の中の状況に問題がある。と感じている人は多いと思います。米が急にバカ高い値段になったり、物価は上がりっぱなしで給料は上がらない。マスコミの報道は偏った一面を強調し、多様な角度からの事実を伝えない。SNSにも規制が入り、「言論統制」が忍び寄る。既存の政治家や官僚の利権に絡んだ実態は、分かっていても温存される。有権者側も白けて無関心に染まり、国民の半分以下しか投票に行かない。まだまだいろいろあるわけです。
これ、ほっといていいんですか。って事です。もうちょっと、何とかマシな世の中にしたいと思いませんか。って事です。
考えてみてください。根本的な価値観が現有勢力と同じであれば、新たな政権が立ち上がっても、できる権力構造は変わりません。そこで必要なのは、新しい価値観、「徳」ある政治家の登場だと思うのです。


「幸福」とは何かを探求すると、そこにある、人間を超えた存在に行き着く。

人間はなぜ生きているのか。なぜ生まれたのか。そもそも生命とは何か。とか、思うわけです。え、考えたことないって。まあ、そういう人もいるでしょうw。でも、これ、不思議といえば不思議なんです。自分の心の奥を見つめていくと、なんとなく穏やかな領域に近づいていくような気がしてきます。自分の中のいちばん奥の方にある根源意識。これと、繋がってるような実感。理屈を超えた幸福感。まあ、これが「神仏」との遭遇なのかも・・・
「宗教」は、人間の根源を探求するきっかけであり、手立てだと思います。

瞑想的な静寂の中にある安らぎと幸福感。自分が何もしない事によって、外の見える世界とは別の内面世界が開ける「心の中の宇宙」の不思議。これは、魂の郷愁というものが、人間誰しも心の奥底に秘められてるからだと思います。

ここで、「まとめ」として、大川隆法著『政治の理想について』より、引用・抜粋させていただきます。
【幸福の科学は、どちらかといえば、観照的生活、瞑想的生活における幸福を中心にしていますが、現実の生活のなかには、活動的生活にかかわる部分もあり、両者は完全には切り離せません。在家の人たちの悩みや苦しみに関する「抜苦与楽」を行うなかにおいて、それが政治活動へと転化していく面はあるのです。
結局、政治において大事なことは、政治家たちの精神的な意識の高さだろうと思います。「高貴なる魂」を持った人が政治家として上に立つことが、多くの人にとっての幸福につながるでしょう。】


ということで、みんなが幸福で、自由に生きられる社会を創るためには、本来の意味での神聖なる「宗教」と政治哲学をバックボーンとした「政治」が、今、必要なんだと強く実感した次第です。みなさんも、今一度、真摯な心で、この問題を考え、答えていただければ幸いです。では、また。(つづく)



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みなさん、こんにちは。そして、こんばんは。または、おはよう。はじめまして、SHOJI(平下詳治)と申します。ぼくは、昭和の時代に名古屋で生まれ、育ちました。若い頃、沖縄に住んだり、東南アジアを巡る旅をしたりして、東京で20年ほど、グラフィックデザインの仕事をしてましたが、今は名古屋に住んでいます。自由とシンプルをこよなく愛する、一般人です。そして、幸福の科学の信者です。1987年に大川隆法氏の教えと出会い、その年の12月に会員になりました。世間の風潮が、まだまだ「新興宗教」に対して偏見を感じる昨今ですが、人間にとって大事な「心」の問題をオープンに語り合えるよう、今回、この場を利用して「信仰」「宗教」「神仏」に対して考えている事を率直に述べていきたいと思っています。正直に語り、書きたいと思っていますので、よろしくね。
サイト http://心のBOSS
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