みんな、なんで、いろいろ悩むのか、考えてみてわかったこと。
みなさん、こんにちは。SHOJIです。
今回は、わたしやあなた、彼、彼女、若者、年寄り、子どもなど、みんなが日常生活で突き当たる「悩み」の問題を考えてみようと思います。
まず、そもそもなんで「悩み」が生じるのか。人それぞれだとは思いますが、なぜと問われると、よくわからない事もあります。
逆に、この世の中に悩みがぜんぜんないって人はいるんか。まあ、いるのかもしれないけど、稀でしょうw。
この悩みというものは、個人の主観、その人が大事と思う関心事に付随して生まれてきます。なので、気にならなければ悩まないわけです。
そこで、まずどうするか?
皆、だれもが悩みを解決するための方法を探ることから始めます。何か知識を得ることによって打開策が見えるからです。
そうして、ぼくが出会った最高の参考文献が、大川隆法氏の説く「仏法真理」でした。
仏法真理の教えに「肉体は霊の影」というキーワードがあります。これは、人間の本質が霊であって肉体ではない。肉体はこの世を生きるための「乗り船」にすぎない。霊的世界観に基づいた自己認識が真理であって、姿形ある肉体は本来の自分ではない。こういう知識を学ぶわけです。しかし、これ、なかなかそうは思えないんだよね。生まれてからこの肉体が自分だと思って、周りからも言われて育ってきたんですから。さて、しかし結論は「霊」なのです。ここにギャップが生じます。知ると悟るは、違う。知る事は皆できる。でも、悟る事はできない。これを何度も実感してます。
具体的な例を上げてみます。
なぜ、頭が禿げるとショックなのか。それは、喪失感だと思います。あったものが無くなるのは、自己認識が揺らぐからです。病気や事故で手や足を失う人がいます。それも非常なショックです。なぜなら自己認識が壊されるから。なかなか、それを受け入れる事ができない。現実は現実で変えられないのに、なかなか納得できない。
女性は歳を取ってその美貌が衰えると、それを受け入れられなくて抵抗します。絶世の美女であればあるほど顕著です。悩みは深く辛くなります。これらは全て、「肉体が自分」という自己認識観念に固執してるからそうなるわけです。でも、これは普通の感覚ですよね。みな、自分とは何か。って考えたら、鏡に写ってるものが自分だと信じてますから。
悩みの状態の分析と、解決の方法と過程。
ということで、人は皆、人生の途上、様々な悩みや問題にぶち当たります。そして、ショックや苦しみ、痛手を受けます。立ち上がれないほど落ち込む事もあります。でも、生きてる以上、何とか打開する方法はないものか考え、いろいろ調べたりしてまず知識を求めます。何か参考になるもの、問題解決の糸口を必死に探します。悩みは、結局、その事柄について知らないから起こるわけです。知らないから気持ちの整理ができずに心が混乱している。渦を巻いて動揺している。平静でなくなった状態が悩みなのです。
【悩みの正体】 判断できない迷いの状態 整理不可で混乱 自己の欲得に翻弄 冷静に客観視できない
【知る事とは】 知識・知恵による解決方の探求 多種多様な情報収集 適切な知識の選択 参考になる考え方を練る 突破口を見出した時の気づき
【悟る事とは】 悟りの感覚 心の平静 囚われのない境地 しかし、ひと山越えれば、また次の山 小さな悟りを積み重ねる 悟ったという終点はない
「悟り」を目指すのは、人間の性(さが)。
到達点のない悠久の道のりが、無限の進化を育んでいるのかも。。。
さて、みなさん、「悟り」とは、いったい何なんでしょう。
ぼくは、この言葉に憧れを感じました。この心の境地に至りたいと思いました。でもそれは自分では認定できないものかもしれません。なぜなら悟りには階梯があり、その内容は多種多様に分解できるし、無限と言えば無限だからです。
悟りとは、心眼を開く事でもあります。心の眼とは、肉体の目で見るのではなく、自己中心的な欲得を排した、いわば「神仏の視点」で、物事を見ることです。なかなかできないですが、その方向で努力する意思が重要なんだと思います。
人間の本質が霊的存在であるなら、人間がこの世に生まれる意味は、その魂の進化・発展にあるというのも納得できます。本来、神仏(創造主)から分かれてきた、一つひとつの個性がそれぞれの特性を知り、特徴を発揮しながら人生に挑む。その過程で出会う、様々な問題や悩み。これが、砥石となって魂が磨かれる。その磨きの成果として「悟り」の瞬間がある。喜びがある。幸福を感じる。そういうシステムなんかなぁと推測している。
悟りの中にある要素として、この世の事実確認で成立する知識とは相いれない、この世的常識を一段超越した「信じる」という行為が必須なんだと思う。それは神仏への「信仰心」であるし、この世に生き乍らあの世に存在する境地が悟りに繋がっている感じがする。
「悟り」は、理論的に解き明かせるものではない。そこが悟りたる者「仏陀」が、深淵で神秘的である所以だ。
ここで、「悟り」に関する記述を大川隆法氏の著作から幾つか抜粋してみます。
「悟りを開く」ということは、肉体を持って生きてはいるけれども、結局、生きながらにして「神」や「仏」といわれる超越的な存在と一体になること、同通することになるので、本来なら神仏が持っているような能力を、その何割かは分からないけれども、生きながらにして持つことになるということでしょう。
仏教においても、二千五百年前に仏陀が悟ったことは、結局、心の法則であったのです。仏陀は心の法則を悟り、その心の法則を使うことによって、どのような世界が展開するかということについての経験を得て、智慧を手に入れたのです。
要するに、空理空論だけをいくらやっていても、自分のものとして理解しなければ意味がないということです。悟りは、実践してみて初めて味わえるものです。教えというのは、自分のものにしたければ、それを実践してみることです。そして初めて自分のものになります。記憶だけしていてもだめです。本を読んで暗記をしたというだけではだめです。実践してください。そうすれば自分のものになります。
霊的世界の不思議は、体験した人が解説するしかあるまい。
たとえ、非科学的で、学問的ではないと批判されようとも、人間には真理を知る権利もあるし、悟りたる者には、真理を伝える義務もあるだろう。
「信仰」の力は、学問や科学をも超えるものだ。
そういうことなんです。深いです。
悟りとは何かを考えれば考えるほど、自分が悟っていないということが、切実にわかってくる。
物事に関心を持ち、いろいろ調べて探求して知ることはできる。ああそうかとそれなりに納得してわかる。知識は増え、情報は積み重ねられ、それを参考にして問題に向き合うと、知らなかった時より解決能力はあがる。それが「知恵」なんだろう。しかしそれは、「悟り」ではない。悟りの境地が実際どういったものなのかはわからない。
けど、そこまで至ってないことは知れば知るほどわかるようになる。
結論は諦めないこと。悟りを求め、心を磨きながら、人生の問題に挑み続けることなんだと気づいたことが、ぼくの現時点での「悟り」です。
では、みなさん、共にがんばりましょう。またね。(つづく)
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