ぼくが新興宗教「幸福の科学」に入会した訳。
なぜ、新興宗教に興味を持ったのか。入会したのか。
まだまだ世間では、新興宗教に対する「偏見」が根強い事は承知している。
オウムや統一教会の凶悪事件、創価学会のしつこい勧誘、などなど、
普通の人なら、関わりたくないと避けるのも当然だろうね。
ぼくだって、ずっとそう思ってる。今でもそうだし。
「幸福の科学」は創立当時、入会には「試験」があった。
それは、まず書籍を読み込み、入会願書に読書感想文を書いて提出すること。それが条件だった。
1987年の段階では、大川氏自身がその答案に目を通し採点していた。
皆が一発で合格するわけではなく、答案の内容によっては「3ヶ月待機」とか
「不合格」とかあったようだ。
ぼくは、学生の気持ちで、学びたい一心で、「願書」を書いた。
そして、その年の12月、合格通知を郵送で受け取った。
答案用紙には、朱色のダーマトで「大川」の文字がサインされていた。
ぐっと胸を撫でおろした時の喜びは、今でも忘れていない。
ということで、「入会」は「入信」ではなく、「入学」だったんだと思う。
宗教団体の立ち上げ期の雰囲気。
どんな組織、団体でも、人が集まればそれ相応の磁場みたいなものができる。
増して同じ対象に関心を寄せる人たちなんだから、そうだろう。
「幸福の科学」は、新宗教だから幸福の科学的な雰囲気というものがある。
それは、まず、清潔感と明朗さが特徴だと思う。
ドロドロした感じとか、ジメジメした空気感は、今まで経験したことない。
「新興宗教」ってそういうものらしいってのが、一般人が抱くイメージなんだろうが。
87年、会の立ち上げ当時、ぼくは初めてその事務所に行った。「入会願書」をもらいに。
西荻窪駅からほど近い新築マンションの地下1Fにあった。
4、5人のスタッフがそれぞれの持ち場で、普通に働いていた印象がある。
受付で声をかけると、若い女性がにっこりほほ笑み、親切そうに対応してくれた。
ぼくも、はじめ一応警戒していたんだろう。
「もし、変な宗教だったら、すぐ帰ろう」と決めていたからだ。
まったく、「普通」だった。
これがぼくの「幸福の科学」に対する第一印象で、それは今も同じですね。
宗教の世界観と道徳。「あの世」があるという教え。
では、「幸福の科学」の教えについてです。
そもそも「宗教」があるのは、なぜか。なんのためにあるのか。
これは、仏教・キリスト教・イスラム教など伝統宗教であろうが、
新興宗教であろうが、根本的な問題だと思います。
世の人々には、宗教など必要ないという「無神論者」もいるのでしょうが、
いや、そっちの方が多いのかなw。現代社会って。。。
まあ、それは置いといて。
神様、仏様って、すがるための対象なの?
病気を治してとか、受験合格とか、商売繁盛とか、地震・台風来ないでとか。。。
こんな「現世利益」が宗教の目的なんだろうか。
はい、そうです。と言えばそれまでなんだけどね。
ところで、「大川隆法」氏が説いた教えの大きな柱は、
「愛」とは奪うものではなく与えるものであるという、
愛の原点、愛の本質を提示してみせた事と、
人間は、「この世」に生まれてみんな死ぬけど、
「あの世」が実在し、魂(霊)は、不滅で、
転生輪廻を繰り返している存在だと断言した事だと、ぼくは思います。
大川隆法先生が何度も繰り返し説き続けた教え、
「100%あの世はあります」と言い切った言葉を、ぼくは信じました。
それが「信仰」なんだと思います。
「宗教」の意味、霊的世界観の安心効果。
「あの世」があるということは、死んでも、まだ生きているってこと。
肉体は滅んでも魂は存続しているってこと。これが「霊的世界観」ということです。
これに対して「唯物世界観」だと、人間死んだら終わり。何も無い。不幸の極み、はい、さいなら。。。
この世の中を見回して、やはり最大最強の不安は「死」なんだと感じます。
毎日のNHKのニュースだって、「死」を最悪として取り扱っていますよね。
しかし、よくよく考えれば、人間はみんな絶対死ぬんです、
何らかで。そこで、この「あの世」があるという「霊的世界観」が意味を持って来るんです。
力になるんです。救いなんです。
「宗教」には、新たな「認識」を多くの人々に伝えることによって
人間の心を平安にすることができる効果があると思います。(つづく)
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