コミュニケーションは念合戦。
人間ってそもそも霊なのね。
飛び交う念波は生霊そのもの。

そもそも「霊」って、人間そのものなんだよね。

みなさん、こんにちは。SHOJIです。
きょうは、そもそも「霊」って何?この疑問に答えるとこから始めます。世間の常識では霊といえば、まず幽霊を思い浮かべる人が大半でしょうか。ぼくは「仏法真理」を知ってから霊といえば、人間そのもの。そう認識してるので、霊という言葉についたおどろおどろしいイメージはありません。

【人間はこれ霊にして 霊とは不滅の知性なり 霊とは不滅の力なり 霊は全ての全てにして 肉体はこれ霊の影】
これは、「仏説正心法語」の一節ですけど、ここに大川隆法氏の説く教えの根幹があります。これが「霊的世界観」です。これは氏の思想ではなく、事実を事実として伝えているって事です。科学的分析でもありません。こうだからこうだと言っているのです。だから、ここに「信仰」が現れるわけです。信じるか、信じないか。二者択一。0か100か。間はありません。

人間のコミュニケーションは、念と念が飛び交う「念合戦」。

なぜ、人間が霊的存在だとわかるんですか?それは、微妙な心遣いが、相手に関心があればあるほど、察知できるからです。
人間の念と念の闘い。人間が霊的存在だから。だれにもこうしたいああしたいと思う意志があって行動している。念合戦。
男と女の恋愛感情も、思いが募れば募るほど、念パワーは増し、本人(表面意識)は相手目掛けて飛んで行ってるかもしれない。

「以心伝心」というのがありますよね。あれは、相手の思いが何となく感じられる、なぜかビビッとくる、これ、何ででしょう?
この世で生きてる人間は、肉体を纏ってるがゆえに相手の心が見えません。そのものズバリの相手が考えてる事はわからないようになっています。これが霊だけになった状態だと、その思いがそのまま存在してるわけなんで、見え見えになるんです。何を考えているか隠す術はなく、裸なわけです。これ、怖いと言えば怖いです。この世の人間は、いろんなものを着込んで生活している。あの世の霊は、心以外に無いので、常にスケスケ状態です。

人間の形態・状態を表現する言葉のイメージの違い。
「心・精神・魂・霊」は、同じといえば同じ。

人間に心・精神はあると思いますか?と聞かれたら、「はい」と答える。では、人間に魂・霊はあると思いますか?と聞かれると、「いいえ」と答える。
この言葉の表現の違い、その言葉のイメージの違いによって、答えが変わってくるんだよね。その言葉の指してることは同じでも。
この心の形態として、「思い」の強度が変化していく過程で「念い」となり、そのパワーが増した状態が、「生霊」となる場合もあるってことです。
だから、霊というのは突き詰めれば、生命エネルギーのことで、生命の元、神仏の根本エネルギーと繋がってるものなんです。

現代では、真実は「科学的」でなければならない。とおっしゃる。科学的実証。科学的根拠。それが大事だ。なので、あの世とか、霊魂とか、科学的に証明できないものは取り扱わないらしい。でも、そもそもその科学的とは、何なのか。この世界のあらゆる事象を科学は解明できるのか。ぼくは疑問がある。なぜなら、科学的探究は、すべて人間を中心にして考えているからだ。だって、この世界は人間が創ったものじゃないよね。宇宙にしたって、周りの動物も植物も鉱物も空気もみんな。だったら、これらは人間を超えた存在が創造したってことだよね。この真実は「科学的」を超えた、厳然とした事実だと思う。

この世の現代社会・人々の日常生活は、
各人の世界観・価値観が大きな影響力を持っている。

肉体と霊体の関係
人間は霊的存在で、霊の方が本体で霊体が肉体に宿って生活してるのが、この世だとしたらこうなる。あの世は霊体だけで生きてる世界。この世は霊体と肉体が一体化して生きてる世界。ということは、あの世とこの世は、切れていないってこと。繋がって存在しているってこと。だから、この世の「死」は、その連続性の中での表現形態が変わるだけで、消滅しないということ。

では、その人の世界観と価値観によって、どう物事の解釈が変わり行動が変わるのでしょうか。
霊・あの世があると思ってる人は、死を最悪とは捉えないので、心に余裕ができます。この世の人生を最大限に生かすことを考えます。そして自分の命の根源に自分を超えた究極の存在がある事を信じます。それによって周りの人との繋がりも実感します。そうした人々が増えれば、この世も住みやすくなると思います。
霊・あの世はないと思ってる人は、死は人生の墓場、文字通り一巻の終わり。と考えます。そうすると、重要なのは自分の生存・欲望を第一にします。どうしても自分中心になります。よって、自分を超えた存在「神仏」も認めません。「自我我欲」中心の人が大半になると、当然ギスギスした世の中になるのは否めません。

まとめ。人間は「霊的存在」。「人間ってそもそも霊なのね」の意味。

人間の発する思いには、力があって、それが通常も「念波」となってこの世界を飛び交っている。日常生活での普通のやり取りから始まって、仕事における人間関係。男女の恋愛感情。政治・経済の覇権をめぐる勢力争い。スポーツ・競技・試合を通じての勝負事。何から何まで、人間が「霊的存在」であるが故の現象が日々繰り広げられている。その「念エネルギー」が膨れ上がって強力になり暴発すると、それが「生霊」となって実体化する。これは、平安時代の物語や迷信ではなく、現代にも通用している事実なのだということです。
さて、みなさん、お分かりになりましたでしょうか。だから、「人間ってそもそも霊なのね」なんです。これは、「常識」なんです。すべての物事の前提なんです。真実を求めて「科学的探究」を突き詰めれば、これが結論なんです。ということで、きょうはここまでです。今後ともいろんな角度で説明したいと思います。じゃあ、またね。(つづく)

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みなさん、こんにちは。そして、こんばんは。または、おはよう。はじめまして、SHOJI(平下詳治)と申します。ぼくは、昭和の時代に名古屋で生まれ、育ちました。若い頃、沖縄に住んだり、東南アジアを巡る旅をしたりして、東京で20年ほど、グラフィックデザインの仕事をしてましたが、今は名古屋に住んでいます。自由とシンプルをこよなく愛する、一般人です。そして、幸福の科学の信者です。1987年に大川隆法氏の教えと出会い、その年の12月に会員になりました。世間の風潮が、まだまだ「新興宗教」に対して偏見を感じる昨今ですが、人間にとって大事な「心」の問題をオープンに語り合えるよう、今回、この場を利用して「信仰」「宗教」「神仏」に対して考えている事を率直に述べていきたいと思っています。正直に語り、書きたいと思っていますので、よろしくね。
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