世の中の「常識」って何なんだろう?
前提としての知識が違ったら、根底から変わるよね。
みなさん、こんにちは。SHOJIです。
今回、テーマは、世の中の「常識」についてです。
これは、現時点で一定の知識を集めて世間が一応認めている価値観の事なんだろうと思います。
だから、それはその知識の種類と範囲によって変化するものでもあるって事ですよね。
そこでぼくが幸福の科学で学んだ「教え」によって、
この「常識」というものが、どう変わったのかを話しますね。
いくつかのキーワードに対して、短くざっくばらんにコメントしていきたいと思います。
霊とかあの世とか、こんなの普通の事なんだよね。
そろそろ価値観、見直してみた方がいい。
【天国・地獄はこの世の世界と共存してます。】
これ、けっこう驚くよね。ふつう死んだら、あの世に行って、そこに天国と地獄があるなら、まあそうかもしれない。できれば天国生きたいな、こんなふうに漠然と考えていたら、今、ここに天国も地獄もあるんだっていう話だよね。
目には見えない世界は、見えないけど、人間ひとり一人の心の中に思う世界は、この世もあの世も繋がっているって事。自分が天国的な思いの時は天国にいて、自分が地獄的な思いの時は地獄にいる。まあ、そういうことなんだよねw。
類は類を呼ぶ。人間の思いが波動であり、エネルギーであるなら、それには力がある。引き付ける力は同様のものを結びつける。悪を思えば悪が来るし、善を思えば善が来る。「一念三千」これも人の念いは世界そのもので、念えば、念っただけの種類の世界が展開する。ということで、人間の思いは、霊的存在の事なんですよね。
「スピリチュアル」って言葉がけっこう流行ってるみたいだけど、これ、「霊」の事だよね。カタカナにすれば何となくソフトなイメージで怖くないって感じなのかなw。人間は霊だと言うと、「えっ」となるのは、霊が幽霊イメージと連結してるからなんだろう。人間の本質は霊。それが常識のぼくは、めんどくさい固定観念だなぁ~って、いつも思ってるね。
なんで霊が見えないか?
こんなん、逆に日常生活でそこら中にいる霊が見えたら、どうなると思う? すっげー、鬱陶しいよ、きっとw。満員電車で混み込みなのにそこに霊まで見えたら息できないよね。まあ、これは冗談だけど、霊は見えないけど居る。そして、自分自身も霊。肉体に宿ってるだけ。死んでも肉体は消滅するけど霊は在る。だから、この世とあの世は繋がっていて、同時に存在してる。ということで、霊が見えない方がこの世は暮らしやすいから見えないんだと思う。
【つい最近の出来事】
財布と鍵を失くした。
財布には、キャッシュカード・クレジットカード・運転免許証、いろんなメンバーカードが入っていた。鍵は家・ポスト・自転車、使用の物。
自転車で出かけて帰宅してポケットを探ったら鍵がない。「やばい!」と思った。集合住宅なんで、知り合いの隣人に事情を説明した。管理人か自治会で合鍵がないか尋ねた。ないらしい。さて困った。
次にしたのは、となりの部屋の人に事情を話して、ベランダ伝いに自分家に入ることを思いついた。気のいいおばさんで、即、了承してくれた。恐縮しながらおじゃまして手摺にまたがって何とか渡れた。ここは3階。そう怖くはなかったw。自分の部屋のベランダ側のガラス戸は開けてあったのでよかった。
部屋に入って気が付いた。財布がない。「ええっー」と叫んだ。またがった時、落ちたかも。すぐ、また隣に行った。自分が動いた箇所を点検しながらベランダの床を隈なく探した。見つからない。やっぱり下に落ちたか?もう辺りは暗かったが2時間ほど、一階の敷地、草むらの中をライトで照らしながら手探りした。見つからなかった。あくる朝、もう一度、血眼になって探したけど出てこなかった。
【さて、ここでぼくが考えたこと。】
もう今夜は家に入れないかもしれない。それが隣の親切なおばさんの手助けで家に帰ることができた。感謝。でも財布も失くして気持ちはどん底。寝たのは午前4時頃、5時半に起きた。こんだけ探してもないんだからしょうがない。まず、カードを止めないと。落ち着きを取り戻しながら、パソコンで手続きを始めようとして、ふと気が付いた。※カード紛失の際はまず警察に届け出てください。そう注意書きがあった。ああそうか、そういうことか。
そして、よくよく考えてみたら、きのう、家に着いた段階ですでに財布も失くしていたのかも。鍵を失くした動揺で、財布まで確認してなかったのかも。財布はポケットにあると思い込んでいただけかもしれない。で、110番に電話した。落とし物担当の窓口に繋がった。財布を落とした事を告げ、名前と住所を知らせた。すると、そのお名前で落とし物の届出情報があります。びっくり仰天した。「ああ!そおですか!」ぼくは、小躍りして、この「奇蹟」に歓喜した。
ほとんど「闇」に沈み、諦めかけていた状態から、一瞬にして「光」が射した時、この世の不思議を感じたんだよね。まず、財布を拾ってくれた人が「善い人」だったってこと。この偶然の確立は読めない。もし、悪気のある人が拾っていたら現金は取られカード類も悪用されていた可能性が高い。これは「幸運」以外の何ものでもない。
【今回の「事件」を「霊的視点」で分析してみると。】
まず思い返してみると、出かける前になんかズボンの後ろ両ポケットに入れた財布と鍵が飛び出しそうになる事に注意喚起するインスピレーションはあった。でも、まあ大丈夫、とそのまま出かけた。ここですでに「働きかけ」はあったという事。その主は「守護霊」だと思う。
そして、財布が無くなり、ベランダから落としたと思い込んだ自分は焦って、のべ5時間ぐらい探しまくった。それは一応、できる努力を尽くした。それを見ていた守護霊は、「よし、助けてやろう、こいつもがんばってはいるから」と、思ったかもしれないw。そいで、良い人に見つけてもらって警察まで届けてもらうように「霊的助力」をしてくれたのかもしれない……知らんけどw。こういう目に見えない世界でのやり取りがあるんだと感じた。
しかし、逆の結果もありえた。もし、今回の結末が財布も鍵も無くなって、たいへん面倒で危機的状況となった場合でも、そこには、深い霊的意図があると考えるようにしたい。その実体験を通じないと身に染みて分からない教訓もあるからだ。この世の人間の生活は、こうした霊的影響力の下に成り立っている。ひとり一人の人生経験には、どんな結果であろうともそれは、それなりの学びと意味があるのだろう。今回は誠に救われた感慨を享受できました事を心より感謝申し上げます。
もう一つ付け加えると、この紛失事件が起きた事によって、ぼくは人との繋がりを深めることができた。隣の人、一階の人、二階の人とは、それまでほとんど何の交流もなかった。顔もちゃんと知らなかった。都会の生活は皆そんなものだけど、こういう緊急事態だからこそ、コミュニケーションのきっかけが生まれた。ご迷惑かけたけど、その人となりに接し、理解が深まった。
人間関係って、表面だけで判断したり憶測で評価したりしてる事がかなり多いと思う。何かのきっかけで相手のリアルを知ることは、すごく重要だと思った。お互いに安心感が生まれれば、近所付き合いもスムーズになるってことも学んだ。
どうですか、みなさん。これが「仏法真理」を知り、学んでいる人間の心の在り方なんですよ。なんか得する考え方だと思いませんかw。「徳」があるような感じしませんか。まあ、確かに落とした財布が戻ったから、こんなに機嫌よく言えるんだとは思います。
財布無くなってカード使われて免許証も悪用されて莫大な損失を被れば、平静ではいられないと思います。でも、まあ、いろいろあるのが人生。山あり谷あり。すべての経験・体験は、魂としての糧になるもの。学習材料であって、この世は、その魂・心を鍛え、磨き、成長させるために、あの世からわざわざ肉体に宿ってこの世に生まれてきたと認識してれば、いろんな状況に対して一種の余裕みたいなものができてくる気がします。これは、「功徳」と言えるのではないでしょうか。ぼくは、そう信じて今後とも生きていきます。ということで、今回は終わりとします。またね。(つづく)
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