新興宗教だろうが伝統宗教だろうが、最新ハウツーでも古典思想でも、
要は心に響くものが真理なんじゃないの。
こんにちは、SHOJIです。
今回はぼくが大川隆法氏の教えで何がいちばんインパクトがあったのか、それを重点的に説明したいと思います。
その前にみなさん、「幸福の科学」は世間では、新興宗教の一つとして知られていますよね。名前はけっこう有名で、おそらく国民の7割ぐらいは聞いたことあるはずです。でも、その内容を理解しているのは、信者と大川隆法読者ファンに限られる。まあそうなんでしょう。なかなか、わざわざ、内容まで調べないですから。それが普通の一般人の新興宗教に対する関わり方なんでしょうね。考えてみれば、ぼく自身も、取り立てて興味ないものを深堀しませんし、何となく世間の評判をイメージとして受け入れるだけでスルーしてますもんね。
ということで、なにが言いたいかと言えば、広く世間に認知されるのは、まずだいたいのイメージ。その内容はともあれ、誤解も含めて何となくそんな感じってのが伝わります。で、その後、繰り返しが続けば人気が出ることもあります、するとだんだん、その内容も理解されるようになってきます。だからそういうものなんで、気長に伝えていくしかないんですw。前置きが長くなったんで、本題に入ります。
人は皆、愛を欲しがる。自分の欲求を叶えることが幸福だと思う。
だけど、思うようにならなければ、愛は苦しみになる。いったい、愛って何?
それは、「愛」に関する考察でした。これは、ショックでした。
胸に沁みました。大川隆法氏は結論として、こう断言します。
【みなさんが学び、実践するところの愛とは「与える愛」である。与え続ける愛であり、無償の愛である。見返りを求めない愛である。これは一生言い続けるつもりです。
この「愛は与えるなかにある」というこの単純な教えが、日本の全土に広がったならば、そして世界に広がったならば、この地球は輝いて見えるようになるでしょう。】
『真理学要論』第1章「愛と人間」より抜粋
人間誰しも、自分が生まれてきて、物心ついてくると、まず考えることは自分の欲求だと思います。これが欲しい、あれが欲しい、これ好き、それ嫌い、自分に相対する人も物も自分の都合で判断していきます。親の愛を当然として受け、自分の感情をただただぶつけます。そして、成長の過程で、ふと思うわけです。
自分って何なの? 何がしたいの? 何ができるの? 生きるって何なの? 将来、何になるの? 目標あるの? 人生って何なの? 疑問は尽きません。
まあ、それぞれ人によっていろいろでしょうけど、でも、何らか疑問は出てきますよね。疑問なんかありません。考えたこともありません。って、言う方もいるかもしれませんが、今回は省きますw。で、よくよく考えて自分を振り返って思うのは、自分は自分の事しか考えて来なかった。自己中心の発想でずっと生きてきたって事です。他者から賞賛・評価を求める気持ち、愛情を得ようという気持ち、こればっかりだった。そしてそれらを多く獲得することが、「幸福」に繋がる。そう思い込んでいた。
そんな時、全く逆のアプローチで、この「教え」を知るわけです。「愛とは、与えること。まず、自分から与えなさい。与えた者にこそ喜びが生まれ、幸福がもたらされる。」それで、実際、無理してでもやってみると、「あら、ほんと、なんか嬉しい。さっぱりした感じ。見返りを求めず親切にすると、結果がどうであれ、爽やか。幸福感ある。」こうなるわけです。これ、恋愛においても言えると思います。だいたい相手を好きになると、自分のいいとこ見せようと意識するようになります。それが募ってくると、相手の反応ばかり気にするようになってギクシャクします。もうここで、「奪う愛」になってるんです。求めても得られない渇きの心境、みんなが一度は通る苦しい恋の悩み。ああーと、ため息ひとつ。そこで、また、この「与える愛」を思い出すわけなんです。
みなさん、そうなんです、確かに「言うは易く行うは難し」。でも、実験してみると与える側にいる方が、だいぶ楽なんですよw。気持ちが軽い。執着がなくなるんです。ということは、行動も自然になって、結果、うまく行くことも多い気がします。だから、これは恋愛に限らず、何でもそうだと思います。職業・仕事でも、親子・兄弟・夫婦・友人との人間関係でも、如何に自分が「与える側」に立って、物事を考え行動できるかが決め手です。
幸福の原点とは、「与える愛」から始めること。
愛の本質は、神仏の思いと合致すると、わかってくる。
では、ここで、大川隆法著『幸福の原点』第2章に掲載された文章を紹介します。
【結局、幸福の原点とは何でしょうか。すなわち、「己の心を空しゅうして、他人や社会に対して愛を与えていかんと決意する」━ここに幸福の原点があるのです。
これは、一本のろうそくに火をつけたならば、そこから千本でも万本でも火を取っていくことができるのに似ています。そうではありませんか。マッチをすって、ろうそくをつけたら、そのろうそくの火でもって、百本でも千本でも万本でも、ろうそくに火がついていくのではないでしょうか。
与える愛の根底は、ここにあります。自分が輝くということが、結局、他に光を広げていくのです。そして、愛は、ろうそくの炎のように、決して減ることはありません。愛は与えれば与えるほど増えていくものなのです。
この観点を忘れずに、最初の松明の火、あるいは、ろうそくの火となるように、生きていただきたいと思います。そして、「自分自身の幸福が、すなわち他人の幸福ともなる」ということを、肝に銘じていただきたいと思います。それが、幸福の科学の考え方の原点なのです。】
さて、まとめに入ります。要は「愛」とは何か。確かにだれもが求めて止まないのが愛です。みんな欲しいんです。与えてもらいたくていろいろやってるわけです。しかし、それが間違いだったということです。実験の結果、そうなんですよ。自分が愛されたいと思って、他者から貰おう、奪おうと思えば思うほど、愛は遠のき、募れば募るほど、それは苦しみを生みます。愛は求め出したら、きりがないんです。そこで、発想の転換が必要なんです。逆発想です。まず、自ら「与える」事です。ただただ、淡々とやるんです。そうすると、はたと気づくわけです。「なんか知らんけど、爽やかな感じ。囚われのない自由な気持ち。穏やかで幸せな心境。」これが、そうか。愛の本質を知るわけです。まあ、ひとつの「悟り」かもしれません。と、ぼくは理解しています。
なんで、みなさんも、各々でやってみてください。これは、実践しないとわかりません。結果はそれぞれでしょうけど、この愛の理論は真理だと思います。なぜなら、「神仏」は「愛」そのものだからです。神仏のエネルギーが、この「与える愛」だからです。人間が根源の神仏から生まれてきた存在だからこそ、実際やってみると魂が共鳴するわけです。はい、「愛」って深いですね。だんだん難しくなってきたので、ここらへんでやめますw。
では、また。ありがとうございました。(つづく)
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